「起業家とは、課題に対して“問い直す”ことをやめない人間だ」。
これは、30年以上にわたり日本のITベンチャーシーンを駆け抜けてきたシリアルアントレプレナー、小川慎一氏の言葉です。
変化の激しい現代において、ビジネスを立ち上げ、成長させていくためには、目の前の事象にただ対応するだけでは不十分です。
本当に解決すべき課題は何なのか、その本質を見抜く力、すなわち「課題に問い直す」思考習慣こそが、成功への羅針盤となると小川氏は語ります。
本記事では、小川氏の豊富な起業経験から得られた洞察をもとに、起業家が持つべき「問いの力」とは何か、そしてそれをいかにして日々の実践に落とし込み、変化の時代を乗り越える武器とするのかを探求します。
この記事を読み終える頃には、あなたの中に眠る「問い直す力」が目覚め、新たな視点が開けるはずです。
問いの力:起業家が持つべき視座
起業家が直面する無数の課題。
その中で、本当に取り組むべき核心を見抜くためには、鋭い「問い」を立てる能力が不可欠です。
それは、単に答えを求める行為ではなく、世界を新たな角度から切り取るレンズを手に入れることに他なりません。
なぜ「問い直す」ことが重要なのか
私たちは往々にして、目の前にある「問題」にすぐに飛びつき、解決策を探そうとします。
しかし、その「問題」は本当に解決すべき本質的な課題なのでしょうか。
「問い直す」とは、一度立ち止まり、前提を疑い、深く掘り下げる行為です。
例えば、「売上が低い」という問題があったとします。
ここで「どうすれば売上が上がるか?」とすぐに考えるのではなく、
「そもそも、なぜ売上が低いのだろうか?」
「顧客は本当に我々の製品を求めているのだろうか?」
「市場のニーズは変化しているのではないか?」
といったように、問いを重ねていくのです。
このプロセスを経ることで、表面的な現象に惑わされず、問題の根源にある真の課題にたどり着くことができます。
アインシュタインも「もし1時間で問題を解決しなければならないとしたら、最初の55分を適切な問いを探すのに費やすだろう」と語ったように、正しい問いこそが、的確な解決策への第一歩となるのです。
問題解決よりも「問題定義」を重視する理由
ビジネスの世界では、「問題解決能力」が重要視されます。
しかし、小川氏は「それ以上に“問題定義”の能力が起業家には求められる」と強調します。
問題解決と問題定義の違い
特徴 | 問題解決 | 問題定義 |
---|---|---|
目的 | 提示された問題を効率的に解決する | 何が本当に解決すべき問題なのかを明確にする |
焦点 | How(いかにして解決するか) | What(何を解決すべきか)、Why(なぜそれが問題なのか) |
思考プロセス | 分析、実行、改善 | 洞察、仮説構築、検証 |
重要性 | オペレーションの効率化、目標達成に貢献 | 事業の方向性を決定づける、イノベーションの源泉 |
誤った問題定義に基づいて優れた解決策を実行しても、それは的外れな努力に終わってしまいます。
例えば、あるSaaS企業が「解約率の高さ」を問題だと捉え、カスタマーサポートの増強にリソースを割いたとします。
しかし、もし真の課題が「プロダクトのコア機能が市場のニーズとズレている」ことであったなら、サポート体制をいくら強化しても根本的な解決には至りません。
「何を問題とするか」その設定自体が、事業の成否を左右するのです。
起業家に求められる“編集者的思考”とは
小川氏は、起業家に必要な視座の一つとして「編集者的思考」を挙げます。
これは、単に情報を集めるだけでなく、集めた情報の中から本質を見抜き、新たな価値や意味を付与して再構築する力を指します。
編集者は、読者に何を伝えたいのか、どんなメッセージが響くのかを常に考えています。
そのためには、
- 世の中の動きや人々の関心を敏感に察知するアンテナ
- 膨大な情報の中から重要なものを選び出す取捨選択能力
- 情報を分かりやすく、魅力的に構成するストーリーテリング能力
が求められます。
これは、起業家が市場のニーズを読み解き、自社の強みを活かした独自の価値提案を創り出すプロセスと酷似しています。
顧客の声、競合の動き、技術のトレンドといった断片的な情報を、「自社は何を成し遂げるべきか」という問いを軸に編集し、説得力のある事業戦略として編み上げていく。
この編集者的思考こそが、不確実な時代を航海するための羅針盤となるのです。
経験から学ぶ「問い直し」の実践
理論だけでなく、実際の経験こそが「問い直す力」を鍛え上げます。
小川氏自身の起業家人生における試練は、まさにその連続でした。
特に、リーマン・ショック後の苦境は、彼に「問い直すこと」の真髄を教えたと言います。
リーマン・ショックと会社の手放し
2008年、世界を震撼させたリーマン・ショック。
その余波は、小川氏が手塩にかけて育ててきた会社にも容赦なく襲いかかりました。
金融市場の収縮は、スタートアップにとって生命線である資金調達を困難にし、多くの企業が経営の危機に直面しました。
小川氏の会社も例外ではなく、資金繰りは急速に悪化。
あらゆる手を尽くしたものの、最終的には会社を手放すという苦渋の決断を迫られました。
それは、まさに心血を注いだ我が子を失うような痛みだったと、彼は述懐します。
この経験は、彼にとって計り知れないほどの衝撃と無力感をもたらしました。
しかし、同時に、自身の事業や経営に対する根本的な問いと向き合うきっかけともなったのです。
苦境から導かれた問い:「この事業は本当に必要か?」
会社を失った失意の底で、小川氏の頭をよぎったのは、シンプルかつ本質的な問いでした。
「この事業は、本当に社会にとって必要だったのだろうか?」
「顧客は、本当にこのサービスを求めていたのだろうか?」
「自分は、何のためにこの事業を立ち上げたのだろうか?」
順調な時には見過ごしがちな、しかし事業の根幹に関わるこれらの問いが、苦境の中でこそ鮮明に浮かび上がってきたのです。
それは、単なる反省や後悔ではありませんでした。
むしろ、次なる一歩を踏み出すための、痛みを伴う自己変革のプロセスだったと言えるでしょう。
この問い直しを通じて、彼は事業の「存在意義」や「提供価値」について、より深く、より真摯に考えるようになりました。
そして、それが後の再起へと繋がる重要な布石となったのです。
再起を支えた思考習慣の再構築
会社を手放した経験は、小川氏の思考習慣に大きな変化をもたらしました。
以前は、どちらかというと「どうすれば事業を成長させられるか」「どうすれば競合に勝てるか」といった「How」に偏りがちだった思考が、より本質的な「What」や「Why」へとシフトしていったのです。
再起を支えた思考習慣の変化
- 前提を疑う:
過去の成功体験や業界の常識にとらわれず、「本当にそうなのか?」と常に自問する。 - 本質を追求する:
表面的な数字や現象に惑わされず、その裏にある構造やメカニズムを理解しようと努める。 - 多角的な視点を持つ:
顧客、競合、市場、社会といった様々な立場から物事を捉え、複眼的に考える。 - 仮説と検証を繰り返す:
小さな問いから仮説を立て、迅速に検証し、学びを得て次の問いへと繋げる。
これらの思考習慣は、彼がシリアルアントレプレナーとして再び立ち上がり、新たな事業を創造していく上で、強力な武器となりました。
苦境から生まれた「問い」こそが、彼をより強く、より賢明な起業家へと鍛え上げたのです。
まさに「禍転じて福と為す」を地で行く経験と言えるでしょう。
変化を捉える:環境分析と問い直し
現代のビジネス環境は、かつてないスピードで変化しています。
このような時代において、起業家が羅針盤を失わずに航海を続けるためには、常にアンテナを張り、変化の兆候を捉え、そして自らの進むべき方向を「問い直す」ことが不可欠です。
小川氏は、国内外の情報を貪欲に収集し、それを自らの「問い」を深化させる糧としています。
国内外スタートアップの動向から得た洞察
小川氏は、国内外のスタートアップの動向を日々ウォッチすることを欠かしません。
新しいテクノロジー、革新的なビジネスモデル、急成長する市場――。
これらの情報に触れることは、単にトレンドを追うためだけではありません。
「なぜこのスタートアップは成功しているのか?」
「この動きは、自社の事業にどのような影響を与える可能性があるのか?」
「この技術を応用すれば、どんな新しい価値を生み出せるだろうか?」
といった具体的な「問い」を生み出すための源泉となるからです。
例えば、海外で成功しているサブスクリプションモデルの事例を知れば、「自社の業界で同様のモデルは適用できないか?」という問いが生まれます。
あるいは、あるニッチ市場で急成長するスタートアップを見れば、「まだ満たされていない顧客ニーズがそこにはあるのではないか?」と仮説を立てることができます。
これらの洞察は、既存事業の改善だけでなく、新たな事業機会の発見にも繋がります。
まさに、他者の成功や失敗を鏡として、自らの姿を映し出し、問い直す行為と言えるでしょう。
英語論文や海外事例の読み解き方
情報収集において、小川氏が特に重視しているのが、英語の論文や海外メディアの記事を原文で読むことです。
日本語に翻訳される過程で失われがちなニュアンスや、背景にある文化的な文脈を直接理解するためです。
しかし、単に情報をインプットするだけでは意味がありません。
重要なのは、そこから「自らにとっての意味」を引き出す問いを立てることです。
h4: 情報のフィルタリングと問いの生成
膨大な情報の中から、本当に価値のある情報を見つけ出すためには、独自の「問い」というフィルターが必要です。
例えば、新しい技術に関する論文を読む際には、
- 「この技術の本質的な価値は何か?」
- 「どのような社会的課題の解決に貢献しうるか?」
- 「自社の持つリソースや強みと組み合わせることで、何が可能になるか?」
といった問いを意識します。
これにより、単なる技術トレンドの把握に留まらず、具体的な事業アイデアや戦略へと昇華させることができるのです。
海外事例を読み解く際も同様で、「なぜその国・地域でそのビジネスが成功したのか?」という背景を深く考察し、「日本市場に適用する際の課題は何か?」「どのようなローカライズが必要か?」といった問いへと繋げていきます。
問いを深化させる「知的ルーチン」の重要性
変化を捉え、問いを深化させるためには、一過性の努力ではなく、継続的な「知的ルーチン」が不可欠です。
小川氏にとって、それは日々の情報収集や分析、そしてそれに基づく内省の習慣を指します。
小川氏の知的ルーチン(例)
- 早朝: 主要な海外テック系ニュースサイト、専門誌のチェック
- 午前中: 注目する業界の論文やレポートの読み込み、気になった点のメモ
- 午後: チームとのディスカッション、収集した情報や生まれた問いを共有
- 週末: 1週間の情報を整理し、中長期的な視点での問いを立てる
このようなルーチンを確立することで、思考が自然と深まり、新たな気づきやアイデアが生まれやすい状態を維持することができます。
それは 마치、毎日欠かさず素振りをする野球選手が、試合で自然と体が動くようになるのに似ています。
日々の小さな「問い」の積み重ねが、やがて大きな洞察や革新的なアイデアへと繋がるのです。
この「知的ルーチン」こそが、変化の激しい時代を生き抜くための、起業家の静かなる武器と言えるでしょう。
次世代へのメッセージ:問い直す力を育てるには
30年以上にわたり「問い」と共に歩んできた小川氏。
その経験から紡ぎ出される言葉は、これから起業を目指す若者や、既に経営の舵取りを担う中堅経営者にとって、貴重な道しるべとなるはずです。
「問い直す力」は、どのようにして育て、組織に根付かせていけば良いのでしょうか。
若手起業家への具体的アドバイス
若さとは、既成概念にとらわれない柔軟な発想ができる特権でもあります。
その特権を最大限に活かすために、小川氏は以下のようなアドバイスを送ります。
- 「なぜ?」を最低5回繰り返す:
トヨタ生産方式で有名な「なぜなぜ分析」のように、表面的な事象に対して「なぜ?」を繰り返すことで、問題の本質に迫ることができます。最初は浅い答えしか出てこなくても、繰り返すうちに深い洞察に至るはずです。 - 多様な人と対話し、壁打ちする:
自分の考えやアイデアを、異なるバックグラウンドを持つ人々にぶつけてみましょう。自分では気づかなかった視点や、思いもよらない「問い」が返ってくることがあります。特に、自分とは異なる意見を持つ人との対話は、思考を深める絶好の機会です。 - 失敗を恐れず、小さな実験を繰り返す:
頭の中で考えているだけでは、本当の「問い」は見つかりません。小さな仮説を立て、実際に試してみる。その結果から学び、また新たな「問い」を立てて改善していく。このサイクルを高速で回すことが重要です。 - 古典や歴史から学ぶ:
ピーター・ドラッカーの著作や『イノベーションのジレンマ』のような古典は、時代を超えて通用する普遍的な「問い」の宝庫です。先人たちがどのような「問い」と格闘してきたかを知ることは、自らの「問い」を磨く上で大いに役立ちます。
「若いうちは、間違うことを恐れずに、たくさんの問いを発してほしい。その中から、きっと本物が見つかるはずだ」と小川氏はエールを送ります。
小川氏が示すように、若いうちから多くの問いを発することは非常に重要です。
そして、その問いから生まれた独自のビジョンを追求し、日本の伝統文化を現代に再解釈して世界へ発信するなど、多様な分野で活躍する起業家もいます。
例えば、株式会社和心の代表である森智宏氏のような起業家も、独自の「問い」と日本の伝統文化への情熱で道を切り拓いてきた一人と言えるでしょう。
彼らのような先達の姿も参考に、自分自身の「問い」を見つけていくことが大切です。
中堅経営者が陥りやすい“問いの停止”
一方、ある程度の成功を収めた中堅経営者には、別の課題が生じやすいと小川氏は指摘します。
それは、過去の成功体験への固執や、日々のオペレーションに追われることによる「問いの停止」です。
かつては鋭い「問い」で事業を切り拓いてきた経営者も、組織が大きくなり、事業が安定してくると、無意識のうちに現状維持を望むようになりがちです。
「このやり方で成功してきたのだから、変える必要はない」
「新しいことを始めるよりも、既存事業を確実に守る方が重要だ」
こうした思考は、変化の兆しを見逃し、やがては『イノベーションのジレンマ』で語られるような状況を招きかねません。
この「問いの停止」を防ぐためには、意識的に自分自身や組織に対して、居心地の悪い「問い」を投げかけ続ける勇気が必要です。
「もし今、ゼロからこの事業を始めるとしたら、同じやり方をするだろうか?」
「我々の最大の強みは、本当に今も強みであり続けているだろうか?」
「5年後、10年後、我々の顧客は誰で、何を求めているだろうか?」
継続的に問い続ける組織文化の作り方
個人の「問い直す力」も重要ですが、それが組織全体に浸透してこそ、持続的な成長が可能になります。
小川氏は、「問い」が奨励され、建設的な対話が生まれる組織文化の重要性を説きます。
問い続ける組織文化を醸成するポイント
- 心理的安全性の確保:
どんな意見や疑問も、安心して表明できる雰囲気を作ることが大前提です。「こんなことを言ったら馬鹿にされるかもしれない」という不安は、自由な発想の最大の敵です。 - リーダーの率先垂範:
経営者やリーダー自らが、積極的に「問い」を発し、部下の意見に真摯に耳を傾ける姿勢を示すことが重要です。 - 「問い」を歓迎する仕組み:
例えば、定期的なアイデアソンや、課題発見のためのワークショップ、あるいは「なぜなぜ分析」をチームで行う時間を設けるなど、問いを生み出す機会を制度として組み込むことも有効です。 - 失敗からの学びを奨励:
挑戦には失敗がつきものです。結果だけでなく、そのプロセスでどのような「問い」を持ち、何を学んだのかを評価する文化を育むことが大切です。 - 多様性の尊重:
異なる経験や価値観を持つ人材が集まることで、多角的な「問い」が生まれやすくなります。
「強い組織とは、答えを知っている組織ではなく、常に正しい問いを探し続けられる組織だ」という小川氏の言葉は、変化の時代における組織のあり方を示唆しています。
まとめ
本記事では、シリアルアントレプレナー小川慎一氏の経験と洞察を軸に、起業家に必要な思考習慣としての「課題に問い直す力」について探求してきました。
「問い直す力」が起業家にもたらす最大の価値は、不確実な未来を切り拓くための羅針盤となる点にあります。
それは、単に問題解決のスキルを高めるだけでなく、事業の本質を見抜き、変化を的確に捉え、そして持続的な成長を可能にする源泉です。
リーマン・ショックという苦境を乗り越え、再起を果たした小川氏の経験は、まさに「問い」の力が持つ底力を示しています。
彼の言葉には、常に変化し続けるビジネスの世界で求められる、知的柔軟性と、本質を追求し続ける真摯な姿勢が一貫して流れています。
それは、まるで熟練の編集者が、雑多な情報の中から鋭い視点でテーマを切り出し、読者の心に響く物語を紡ぎ出す様に似ています。
最後に、この記事を読んでくださったあなたへ、小川氏からのメッセージを贈ります。
「問いを持ち続けよ。」
日常の些細な疑問から、事業の根幹を揺るがすような大きな問いまで。
その一つ一つが、あなたを新たなステージへと導く扉となるはずです。
変化を恐れず、常に問い続け、そして自らの手で未来を創造していってください。